無題

最近越してきた若い隣人の生活音がバカみたいにうるせえ。

毎日尋常じゃ無い頻度で、物を落とす音とか壁にぶつかる音とか聞こえてさ。

あと仕事してないのか知らないけど、なんか毎日ずっとゲームしてるみたいなんだよな。

昼間も夜も「ああもう」とか「なんなんだよお」みたいな気色悪い声が壁から聞こえてきて、ノイローゼ気味だったんだ。

で、こないだ深夜にそれやってきやがったから、直接怒鳴りにいったんだ。

顔真っ赤にして涙目で謝ってきたんだけど、まさか隣の部屋まで聞こえてないとか思ってたんかな。

アホちゃう。

んなもん少し想像すりゃ分かるだろ。

 

そいつに限らずだけど、なんか最近常識無い奴増えたなって思う。

これをされたら嫌だろうなっていう思い遣りの欠如とでもいうのか。

自分本位で身勝手な人間ばかりで、なんか生き辛えなあって思うよ。

あとそいつの後日談で、「壁叩く音が聞こえたんですけどうるさかったですか?」って言いにきたことあってさ。

丁度俺その時寝てたし、壁なんて叩いた事一度もないのよ。

お前頭おかしいんとちゃうかって返したら、また「すみませんでした」って。

マジでこういう奴ってどういう生き方してきてんの。

最近の若い奴教えてくれ。

無題

俺は外食を滅多にしない。

食に対する関心は人より薄いのだろう。

貧乏症で貧乏舌なので、大体なんでも美味しく食べられるのは、ある意味幸せな部類の人間なのかもしれない。

 

食に限らず、基本的に生活のクオリティを上げるような行動を取らない。

高い家具、高い食べ物、高い車、高い何某…ハイクラスを目指してレベルアップに邁進する人々がいる一方で、俺の生活は常に横這いだ。

家具はボロボロ、食事は水炊きの鍋か干し魚の丸焼き、車に至っては持ってすらいない。

買い物や食べ物をSNSに上げたり、ステンドグラスを部屋に飾ったり、優しげなアロマを焚いたりもしない。

 

高いものに憧れない…要は上昇志向がないのだ。

確かに俺の生活水準は決して高くないし、幸せとも言い難いだろう。

ただ悲しいかな、これ以上上げる気にもならないのだ。

詰まるところが、慎ましやかな生き方にある程度の満足…言い方を変えるなら納得しているのである。

まあこんなもんか、と。

 

高みを目指すのは素晴らしいことである。

俺はよく分からないけど、多分ね。

生活のクオリティが上がれば、必然的に自尊心も高くなるだろう。

自分の今に納得できない人間は、十分に上を目指してもらったらいいのだと思う。

ただ俺のような人間は、自己研鑽などという言葉を聞くとアレルギーで蕁麻疹が出たりなどするので、出来れば遠慮させて頂きたいという話。

まあ俺からしてみれば、住民税の督促状が来ないだけ、今も十分ハイクラスな生活だよ。

貧しくても、生活できる金があるって素晴らしいよな。

無題

3月になると新卒で入社する直前のことを思い出す。

前の年の5月に会社が決まり、あまりにも働きたくないストレスが爆発した俺は、3月の半ばごろに何を血迷ったか手首を切った。

それはもうざっくりと切って、応急処置をしても床に流れ続ける血を見て、「本当に死ぬんじゃないか」と不安になっていた。

 

今でこそなんとか働けてはいるが、未だに自分が社会に不適応な人間であると感じる時が多々ある。

俺はすぐ感情的になるし、衝動で色んなバカをやらかす。

リストカット根性焼き、傷害罪で捕まったこともあった。

誰からも失望されたくなかった。

季節の変わり目は、きつい。

無題

今日も昔の夢を見た。

他人の期待に応えられなかった事、自責の重みに耐えられなかった事、それから逃げた事。

俺はずっと申し訳ないと思っている。

謝る相手もいないけど、それでも申し訳ないと思い続けている。

きっと、この先もずっと。

無題

21時半にベッドに入り、22時半に寝ついて、1時半に目を覚まして、2時半に再び目を覚ますという謎の挙動をしている。

バカか俺は。

体は眠いと警鐘を発しているのに対し、脳が全く眠ろうとしてくれない。

寝付くにも悪戯に時間ばかりが過ぎ、眠りについても30分や1時間そこらで目を覚ます有様。

 

俺がまともに眠れる日はいつになったら来るのだろうか。

今年に入って5、6時間のまとまった睡眠を取れたのは、多分2、3日くらいだと思う。

慢性的に眠い。

俺の何が悪いというのだろうか。

医者に診てもらうと言って、結局診てもらってないな、そう言えば。

一回予約だけしてみるか。

いや、でも面倒臭えな。

うーん。

冷笑系について言いたいこと

学生時代、俺は所謂冷笑系と呼ばれる部類の人間だった。

将来への不安を誤魔化す為、或いは自分の存在価値から目を逸らす為、真面目に生きている人達や、何かに真剣に取り組んでいる人達を見て、「何を必死になっているんだ」「そんなことをしても無駄なのに」と哀れみ蔑んだ。

あの頃の俺は、本当に馬鹿でどうしようもなく下らない人間だった。

あの時嗤った人達に向けて謝りたい気持ちと同時に、思い出す度にただ恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。

 

余程人格の破綻した人間でない限り、人は身近な他者と自身を比較する事で、自身の存在価値を確立していく生き物だ。

しかし、時に自身の存在価値が不確かになる時がある。

過去に思い描いていた未来の自分の価値が、今の自分の価値とズレていた場合が、主たるケースであると思う。

深層心理で描いていた理想や夢が叶わず、順風満帆な人生を送れていないと感じた場合、自分の価値が分からなくなり、結果、必要以上に他人と自分を比べたがるようになる。

そうなると価値観の比較対象は身近な範囲外へと拡大し、直接関係のない他人にも及ぶようになる。

無関係な他人の粗探しに躍起になり、欠点を見つけては「なんて奴だ」と笑い、「自分はコイツよりもマシな人間だ」と勝手に安心するのである。

 

過去に冷笑系だった自分が言うのも難だが、安い価値観である。

端から言わせてみれば、他人の粗探しに躍起になっているというのは、彼ら冷笑系が「なんて奴だ」と笑った他者の欠点以上に、彼らにとって重大な欠点であるのではないか。

あの頃の自分を思い出して言わせてもらうが、他人の粗探しが好きな人間を好きになるというのは難しい。

俺だって、あの頃の俺と友達になりたいかと言われたら、正直嫌だ。気持ち悪いし。

仮に好いてくれる人間がいるとするなら、それは同じように他人の粗探しが好きな人間だろう。

そうした人間達が集まり、冷笑系と呼ばれるグループを形成する。

他人の粗探しに同調してくれる他者というのは、価値観が不確かな冷笑系にとって、「自分は正しいことをしているのだ」という安心感を与えてくれる。

「あんな奴よりも俺らはマシだよな」と互いに醜い傷口を舐め合う事で、自分の存在価値を高めようとする。

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しかしながら、実質的には彼らの価値というものは、少しも変わっていない。

いくら他人を蔑み嗤ったとしても、自身の価値が上がることはない。

寧ろ好かれにくい人間達が群れる事により、更に自分達がグループ外の人間達から遠巻きにされる悪循環を生んでしまう。

彼らはそんな周りの人間達を見て、理不尽にもこう思うのだ。

「俺たちの事を理解してくれない奴らが悪い」と。

そうしてヘイトの環は加速度的に拡がり、更に無関係な他人へと攻撃のターゲットを向けるようになる。

同時に彼らはこうも思うのだ。

「別に俺たちの事を理解してくれない奴らに好かれなくたっていい」と。

そうして彼らは社会から孤立していくのだ。

自分が社会にとって如何に矮小な存在であるか、死ぬまで真に理解する事なく、延々と傷の舐め合いに執心するのだ。

悲しい事である。

 

さて、ここまで長々と書いてはみたが、この話のモデルが現実の誰かさん達をモチーフにしている事は、しっかりとした審美眼を持つ諸君らにとっては想像に難くないだろう。

彼らのようにならない為にも、現実の自分の価値をしかと見据え、己と真摯に向き合っていく事が大切なのである。

そしてもし自分に心当たりがある方がいるならば、まずは等身大の自分を受け入れる事から始めてみよう。

惨めで死にたくたっていいじゃないか。

俺も毎日辛い。

でも必要以上に自分を大きく見せようとしたって、更に惨めになるだけだ。

強がりはどういった形であれ、いずれバレる。

と言うか、大抵の場合周りには既にバレている。

それを自身が理解した時、大きなダメージを受けるのは明白である。俺の経験上ね。

社会から孤立したくないなら、まずは自分がどういった存在であるかを、しっかり認識する事から始めましょう。

じゃないと人生終わるぞ。

俺が言えるのはそれだけです。